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 研究部会

 旧石器部会縄文部会古墳・古代研究部会中近世部会阿武隈水系研究会
 「大地からの伝言」等活用研究部会

 各研究部会より例会等のお知らせを掲載します。参加希望者は各研究部会の連絡先へご連絡ください。


 旧石器部会(宮城旧石器研究会)
活動報告:第45回例会
 2024年2月17日(土)に第45回例会を開催しました。
 今回は、白石市教育委員会・東北大学考古学研究室のご協力のもと、宮城県白石市高萩A遺跡で出土した細石刃関連資料の検討を行いました。高萩A遺跡は白石市に所在し、2022年に太陽光発電施設建設に伴う確認調査が行われ、遺跡全体を覆う整地土の中から細石刃核2点ほかが出土していました。
 例会では調査の概要が報告されたほか、東北地方の細石刃に関連する報告が行われ、資料を観察しながら活発に議論が交わされました。
 今後も研究発表会や遺物検討会などを通して、宮城・東北地域の研究を継続していきたいと考えています。
 
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 縄文部会
縄文部会第35回例会開催報告
 2024(令和5)年1月14日(日)午前11時より山元町歴史民俗資料館にて第35回例会を開催しました。参加者は6名でした。本例会では、来年度例会の計画について打ち合わせを行ったほか、山元町内出土遺物(中島貝塚、谷原遺跡、北経塚遺跡、中筋遺跡)に関する検討を行いました。開催にあたり、山元町教育委員会の山田隆博氏には多大なるご配慮等いただきました。ありがとうございました。
 次回の具体的な開催日時や場所については確定しておりませんが、ホームページ等でお知らせ致します。また、今後の縄文部会の例会に参加を希望する会員は下記まで連絡をお願いいたします。事前にメールにてご案内致します。
 なお、本例会案内をホームページへ掲載依頼することを事務局が失念しておりました。これまでの参加者にメール案内するのみとしてしまいました。お詫び申し上げます。
連絡先 宮城県考古学会縄文部会事務局
E-mail:jomonbukai.miyagi(at)gmail.com ※(at)を@に置き換えてください。

縄文部会第35回例会の開催風景
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 古墳・古代研究部会
古墳・古代研究部会Facebookページ
【活動報告】古墳・古代研究部会および中近世部会
 令和3年1月24日に「古墳・古代研究部会」および「中近世部会」をオンラインで実施いたしました。
述べ20名の参加があり、詳細は以下の通り。
開会挨拶 古川 中近世部会長 開催趣旨として、オンライン開催になった経緯について説明した。
①及川 謙作 陸奥国府における造瓦技術の受容と変遷(1) ―郡山遺跡の瓦を中心に―
 郡山遺跡の概要と研究史の整理をした後、近年の調査事例を追加して瓦の系譜について再検討したもの。質疑応答では渡邊泰伸氏から瓦生産の技術は地域で受け継がれていくものではなく、必要な時に必要な工人を集めて行うものだったのだろう、という指摘がなされた。
②舘内魁生  形と色からみる宮城県域の 12 世紀の京都系土器
 京都系土師器の研究史をその編年論から分布論、使用法と丁寧に整理し、その導入の様相について、情報のみの伝達か、在地の職人が伝習を受けたものかという議論に答えるというもの。京、宮城県内、北東北と分析対象とし、幾何学的測定学の手法と利用したかたちの分析と、色の分析を通じて得られた結果が提示された。古川一明氏と及川謙作氏から色の分析に関する質疑がなされた。
③及川 謙作 市善導寺北側から発見された近世墓
 平成30年に緊急調査された近世墓について報告された。限られた時間の中で計測されデータから構築された3Dモデルも示され、立地や絵図資料から伊達綱宗の生母を埋葬した石室の可能性が示唆されている。森田義史氏から周知の埋蔵文化財に登録されていない近世墓の把握と調査に関する方向性について質問がなされた。
 最後に総括として辻秀人氏より①と②の双方に共通することとして瓦も土器も本質は「形と大きさ」にあり、技法はそれを実現するための方法であることを意識する必要があることが示された。またオンラインでの研究会という方法についても遠隔地からの参加がしやすいという点など、コロナ禍中にあってはこのような取り組みを続けていくことが重要だと評価された。
活動報告:古墳・古代研究部会および中近世部会(PDF形式126KB)
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 中近世部会
中近世部会Facebookページ
宮城県考古学会中近世部会開催のお知らせ
中近世部会開催案内(20231118.pdf)
 皆様におかれましては時下ますますご清祥のこととお喜び申し上げます。下記のとおり遺物見学会を実施いたしますので、どうぞ奮ってご参加ください。
日時 2023年11月18日(土) 10時00分から15時30分終了予定
場所 10時00分~12時00分 大崎市古川出土文化財管理センター(大崎市古川川熊字長者原11-100)
     ~昼休憩~
    13時30分~15時30分 美里町郷土資料館(美里町牛飼字御蔵新田93番4)
※参加希望者は宮城県考古学会中近世部会Facebookページのメッセンジャーまでご連絡下さい。

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 阿武隈水系研究会
第15回阿武隈水系研究会
開催要項・集合場所地図・見学資料写真(20240114.pdf)
研究会を下記のとおり、開催いたします。
1.時 2024年1月14日(日)13時~
2.研究会  白石市越河五賀中郷良 覚永寺(小川真氏) ※集合場所は上記PDFファイル参照
3. 研究会内容
①馬場台遺跡出土資料見学
 『白石市史考古資料篇』(1976) に馬場台遺跡出土旧石器が2 点掲載されている。市史の記述によれば、上馬場遺跡 (02021) ・中郷良遺跡(02020) の2 遺跡が統合され、馬場台遺跡とされた。市史には、白石市越河馬場台遺跡 尖頭器? 保管者、所有者: 片倉(信光) ・不忘研と記されている。掲載石器写真2点のネーミングには、「越河村字五賀 馬場山ノ墓□□ヨリ 昭和23年 発見者 小川惠見」「剥片 覚永寺附 越河 昭和23年 産地寺墓所附近」とある。市史の「各時代の概観」(後藤勝彦・中橋彰吾) によれば、馬場台遺跡は白石市・刈田郡内の地点不明も含めた旧石器時代9遺跡のうちのひとつであり、「このことは県内旧石器研究の出発は、白石市周辺にあったことを示すのであろう。」とする。
 今回、小川惠見氏(現福島県国見町在住) ・小川真氏からの聞き取り調査と、小川信行・惠見兄弟・小川真氏、2代にわたる収集品の調査を行うことができた。旧石器の発見にあたっては、惠見氏に旧制白石中学校(卒業時には白石高校) 時代の亘理梧郎氏の指導があったこと、亘理梧郎氏は國學院大學4年の片倉信光氏が同道した、昭和8年5月11 日に行った主任教授鳥居龍蔵博士の講演会(白石公会堂) で深く感銘を受け、医者志望から考古学志望に進路変更(「考古学熱に火がついた」亘理梧郎2014 『わらし子の街角余聞』) し、片倉を追い、國學院大學に入学したこと、2 ・26 事件を目撃し、時局がら?考古学ではなく近世史に「転向」し、昭和15年に卒業、徳川林政史研究所・旧制城北中学校で教職に就き、昭和20年8月に東京を引き上げ、旧制白石中学校の教壇に立つことになったこと、旧制白石中学校では部長飯沼寅治・副部長亘理梧郎として郷土研究部(『郷土研究部報』1947 年12 月20 日) を指導したことなどが明らかになった。小川惠見氏自身は郷土研究部ではなく生物部に所属し、亘理氏からは個人的に石器に関する教えを受けていた。なお、戦中戦後、片倉氏も白石に戻り(片倉信光編1958 『郷土の話し』)、郷土研究部の名誉顧問のような形で関与し、部報にも寄稿している。亘理梧郎氏は2013 年に享年99 歳で亡くなられ、遺稿集が遺族によって刊行されている。
 今回見学する覚永寺が保管する石器(裏面参照) は、大型の槍先形尖頭器、石鏃ほかである。現在草付きになっている露頭からも石器や土器が採取され、黒色土層の下、黄褐色土層中に遺物が包含されていたこと、土器はいずれも爪先ほどの小片で、4 ~ 5 ㎝大のものが一番大きい破片であったこと、いずれも薄手無文土器で、割れ口断面はやや黒みを帯びるサンドイッチ状をなしていたこと、現在所在不明であること、いわゆる縄文土器は出土していないことも、聞き取り調査により確かめている。
 ②覚永寺(『光沢山覚永寺縁起』によれば、慈覚大師創建)境内の「熊谷椿」後継木見学
 寺伝による古道(越河五賀小野作~熊谷(旧覚永寺跡)~斎川大義寺or 馬牛館)巡検
 『縁起』によれば、承元の昔、熊谷直実が住持したること、後鳥羽上皇御局の鈴虫松虫が山内に四十八願をか け、四十八本の椿を植えたことが記されている。
4.参加 無料
5.主催 宮城県考古学会阿武隈水系研究会・あずま街道探訪会共催
6.募集 先着10 名
  事務局 相原淳一(siogama7(a)gmail.com)、佐藤充(hageyama(a)dream.jp)まで必ず、ご連絡ください。
        ※(a)を@に置き換えて下さい。
駐車場に限りがありますので、可能な限り相乗りでお願いします。

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 「大地からの伝言」等活用研究部会
※2021年5月から特別委員会「宮城県考古学会普及委員会」に改組
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