宮学会 第26号
                               平成19年 1 月 日

仙台市長 梅原 克彦様

                         宮城県考古学会会長 進藤 秋輝
  
与兵衛沼窯跡の保存に関する要望書

 貴職が計画しております都市計画道路「川内・南小泉線」建設に関わる与兵衛沼窯跡(所在地:青葉区小松島新堤ほか所在)の発掘調査で、極めて良好に遺存する古代の半地下式窖窯7基、平窯2基が発見されました。平安時代の陸奥国府付属瓦窯の実態が解明され、過日の現地説明会では多数の市民・県民に対して調査成果を公開されました。本窯跡の製品は多賀城跡などから出土する瓦との対比から、多賀城第V期及びW期の建物や陸奥国分寺に供給されたことが確実になりました。

 多賀城第V期は780年の伊治公呰麻呂の乱後の八世紀末から九世紀初めに本格的な礎石建ちの瓦葺き建物に再建されたものです。

 また、869年には津波を伴う大地震が起り、国府多賀城をはじめ、陸奥国分寺、同尼寺も甚大な被害を受けました。平安京の政府は「陸奥国修理府」を現地に設置し、中央指導でその復興にあたっています。これが多賀城第W期にあたり、平窯の製品は「修理府」による製品であります。
 今回の調査された与兵衛沼窯跡の学術的な価値としては次の諸点が挙げられます。

(1)窯本体ばかりでなく、燃焼物をかき出した灰原まで残っており、台の原・小田原丘陵の各地点の窯跡群のなかでも極めて良好な状態で遺存している数少ない窯跡群で あること。

(2)北斜面と西斜面では半地下式窖窯7基(多賀城第V期段階)、その南の東斜面では平窯2基(多賀城第W期段階)があり、窯の構成と単位が極めて明確に把握できること。

(3)平窯2基は半地下式ロストル平窯で、畿内で改良された窯構造が直接導入されており、中央直結の生産体制であることが証明されたこと。なお、ロストル式平窯は関東地方を含めてもわずか3窯跡(10基)が知られているに過ぎません。

(4)多賀城第V期段階の半地下式窖窯は、北斜面の有階無段のもの3基と西斜面の無階無段のもの4基があり、二つの形態の窯が同時操業していることが注目されること。 なお、前者は本県で初めての発見です。

 仙台市堤町から東仙台に延びる台の原・小田原丘陵は古代の一大窯業地帯であり、与兵衛沼窯跡はその中核をなす貴重な遺跡であります。
道路は公共性から必要とは存じますが、本窯跡の歴史的意義をご賢察され、隣接する工区内の地形保全を含めた窯跡の保存について、工法変更などを含めた検討を行い、仙台市の誇れる文化遺産に配慮した道路建設になるよう強く要望いたします。     以上


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